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2017年6月20日 (火)

国文学会・国史学会

このところ、学会発表の準備で精神的なゆとりがなくなり、履歴からスマホゲームアプリに直接ログインするくらいで、SNSを眺めることがなかった。
勤務先の国文学会の発表が無事昨日終わり、すこし気分が楽になったので、日記っぽいものを書いておく。
日曜日の発表は一応無難に終わったようだ。
聞かれる悪口雑言の類といえば、「早口でお経のようだった」という類だから、内容的にはまあまあかなと甘い自己採点。
このあと、わざわざ聴きにきてくれ、且つ質問までしやがった若い友人に昼食をおごり、談笑。
ここで別れ、僕は今度は同じ大学の別棟で開かれる国史学会中世部会に出席。
発表は3本。
1)田村航「伏見宮と室町幕府―「仙洞別奉行」をめぐって―」
2)宮武正登「熊本城被災状況視察に基づく石垣倒壊原因に係る私見」
3)高梨達也「中世後期の堂上家格と吉田家」
実は二人目の発表は菅原正子先生の「将軍足利家の肖像画にみえる服飾―桐紋と金襴―」と題するものであった。
ところが急病(かなりお悪いらしい。心配だ)のため、前日の懇親会で途方に暮れていた執行部に対し、宮武先生が立候補してくださったのだという。
男気のある方だ。
ちなみに田村・菅原・高梨の三氏は僕と一緒に『和長卿記』を輪読している方々でもある。
1)は清秀定、飯尾為種の担っていた伏見宮の別奉行の役割と起原について考察。
2)は熊本城の石垣の成立時期の複雑さと土壌内の危機的状況、そして修復の方向性を論じる。
3)は吉田兼見の公家成(くげなり)を中心に、吉田家の堂上家格化を考察。
宮武先生の話は、急遽準備されたものでありながら、頗る興味深いものであった。
中世から寛永期までの石垣の変遷を踏まえ、熊本城の石垣が加藤清正時代、細川時代、明治22年の修復、平成の修復の4つの時期の混成状態にあることを示す。
いつの時期を基準に修復するのが正解か。
清正時代の部分は当時の積み立てで、平成に大林組が修復した部分は大林組のやり方で石を積み立てるのか。
こうした問題は、史跡の真正性に関わるものだろう。
音楽史における古楽器演奏と同じだ。
古い楽譜をもとに、当時の古楽器を使って演奏して、はたして音楽は復元できるのかという問題を、80年代の『エピステーメー』という雑誌で特集していたことを思い出す。
宮武先生は佐賀大学の先生なので、一応、挨拶しておいたら、蓮池城の新出の地図について色々ご教示してくれた。
話はしてみるものだ。
さて、一日休んだ。
アーヴィング・バーリンの古い音源の歌をいろいろ聴いて気分も一心。
週末の発表の準備をしよう。
間に合えばいいのだが。

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